翻訳と辞書
Words near each other
・ ヴィルヘルム (セーデルマンランド公)
・ ヴィルヘルム (ナッサウ公)
・ ヴィルヘルム (ブラウンシュヴァイク公)
・ ヴィルヘルム (リューネブルク公)
・ ヴィルヘルム1世
・ ヴィルヘルム1世 (ウラッハ公)
・ ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)
・ ヴィルヘルム1世 (バイエルン公)
・ ヴィルヘルム1世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)
・ ヴィルヘルム1世 (プロイセン王)
ヴィルヘルム1世 (ヘッセン選帝侯)
・ ヴィルヘルム1世 (ヘッセン=ローテンブルク方伯)
・ ヴィルヘルム1世 (マイセン辺境伯)
・ ヴィルヘルム1世 (ヴュルテンベルク王)
・ ヴィルヘルム2世
・ ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)
・ ヴィルヘルム2世 (バイエルン公)
・ ヴィルヘルム2世 (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク=ゲッティンゲン公)
・ ヴィルヘルム2世 (プロイセン王)
・ ヴィルヘルム2世 (ヘッセン方伯)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヴィルヘルム1世 (ヘッセン選帝侯) : ウィキペディア日本語版
ヴィルヘルム1世 (ヘッセン選帝侯)[う゛ぃるへるむ1せい]

ヴィルヘルム1世Wilhelm I., 1743年6月3日 - 1821年2月27日)は、初代ヘッセン選帝侯(在位:1803年 - 1821年)。初めはヘッセン=カッセル方伯(ヘッセン=カッセル方伯としてはヴィルヘルム9世、在位:1785年 - 1821年)。ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒ2世とその妻であったイギリス王兼ハノーファー選帝侯ジョージ2世の王女メアリーの息子。
1743年6月3日にカッセルで生まれ、兄のヴィルヘルムが既に夭逝していたため世嗣となる。1764年にはデンマークノルウェーフレデリク5世の王女ヴィルヘルミーネ・カロリーネと結婚し、彼女との間に2男2女をもうけた。
ヴィルヘルムは1785年10月31日に父のフリードリヒ2世が死去したためヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム9世となり、当時ヨーロッパ最大級といわれた資産を相続した。また、ヴィルヘルム9世はロスチャイルド家の祖であるマイアー・アムシェル・ロートシルト1775年に知己を得、1801年から彼に財産の運用を任せるようになった。ロートシルトはこれを奇貨とし、現代まで続くロスチャイルド財閥の基礎を築いた。
1803年、ヘッセン=カッセル方伯に選帝侯の資格が与えられ、ヴィルヘルム9世はヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世となった。しかし1806年、選帝侯国はジェローム・ボナパルトを国王とするヴェストファーレン王国によって併合された。そのためヴィルヘルム1世はホルシュタインおよびプラハへ亡命したが、1813年ライプツィヒの戦いナポレオン・ボナパルトが敗れると領土を回復し、1821年に死去するまでその地位にあった。なお、ヴィルヘルム1世は神聖ローマ帝国が解体されたにも拘らず「選帝侯」の称号を用い続けた。
ヴィルヘルム1世が死去すると、次男のヴィルヘルム2世が後を嗣いだ。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴィルヘルム1世 (ヘッセン選帝侯)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.